食べ飲みある記 目黒とんき
いつからだ――
おれはいつからカツが食べたくなったんだ。
わからない。
どうしてこうまでしてカツが食べたいんだ?
食べればいい――
食べればいいじゃないか。
何を我慢している。
我慢する必要など、ないじゃないか――
「とんき」
気づくと目黒にある有名とんかつ店の前におれは立っていた。
ドアを開けると、そこはすさまじい光景だった。
人。
人。
人。
人だかりだ。
客である。
カウンターだけではない。脇にも待っている客。
室内を見回す。1階は清潔感のあるカウンターだ。狭くは無い。そして2階はテーブル席でそれなりに人も入るようだ。
なのに、なぜ――
ここまで混んでいるのか。
と、心の中で呟いた。
「ロース、ひれ、串、どれにしますか?」
そんな迷いなど無視するかのように、店員が問いかけてきた。
「じゃあ、ロースで」
「では、好きな所で待っていてください」
好きな所だと?
順番がわからなくならないのか!?
と思った。
まぁいいさ、郷に入っては郷に従えだ――
ほどなく席が空き、順番通りに座席に座った。
何の問題も、なかった。やるじゃないか。
改めて店内をじろりと見まわす。
店員。
何人いるのだろう。
10…いや、それ以上。
各々が違う役割を与えられている。
カツを揚げる。
カツを切る。
キャベツを盛る。
器を洗う。
動きに無駄がない。
まさに職人芸だな――
そう思った。
じゅわっ。
カツを揚げる上質な油の香りが鼻腔をくすぐる。
食欲――
そう呼ぶには荒々しすぎる何かがおれの中で、むくり、と鎌首をもたげた。
鎌首をもたげ、背を駆け抜けていく。背を駆け抜け、登って行く。
もう少しだけ待ってくれ。
もう少しだけ待ってくれ。
堪えるんだ。でなければ、おれはもう―――
その時、カツは現れた。
はやる気持ちを抑え、がぶり、と喰らいついた。
カリカリした食感。
カリカリしているのは、衣だ。
普通のカツとは、違う。
厚みのあるロース肉も、いい。
肉。
肉だ。
おれの求めていた、肉だ。
しゃきしゃきしているをキャベツを頬張る。
「キャベツのお代わり、いかがですか」
「お願いします」
店員は、にぃっ。と笑った。
豚汁をすする。
ずずっ。
ずずっ。
美味い。
止まらない。
止まらない。
「すみません、豚…」
「はいかしこまりました、お椀一丁!」
また、店員は、笑った。
心地よい時間だった。
そう思った。
「ご馳走様」
全てを平らげ勘定を済ませた後、そう呟いて、帰路についた。
(夢枕獏風)